大雪の前の静けさでしょうか、今日は珍しく日が差していた日本海側です。いよいよ年末ですね、皆さまもお忙しいことと思います。
昨日は、多分…本当に気のせいだったのだとは思うのですが、夕方に「
さてさて、、
皆さま、本年も本当にありがとうございました。ひとつひとつのセッションや皆さんとのやり取りを通じて、私も沢山の気づきと学びを頂けた一年でした。
ご縁を頂きました皆さま、そしてこちらをご覧下さった皆さま、心より感謝申し上げます。
2020年は、今までと同じやり方や、今のままではいられないという流れがぐいっと一気に進んだ1年でしたが、社会生活で言えば、ちょっと前の状況を懐かしんでそこにまた戻ろうとする力学と、さらに見直しが進み、より軽やかに、社会全体のためにはどうしていくのが良いかを追い求めていく流れが、まだまだ混在している感じですね。
こういった状況下での立ち居振舞いや、生活のひとつひとつにその人の様々なものが浮き彫りになっているようにも思います。
そんな中、日本人は主張することが苦手だと言われるけれど、一方で「他者への配慮は無しに自己の権利だけを主張する」ような場面だったり、逆に、全体からの圧が高まることで、個人の細かな事情に配慮が及ばないという状況が生まれたりといった、様々なニュースも目にしました。
おかしな主張であったとしても「でも個人の権利も確かに大切だし、、」となってしまったり、あるいは「(本当にそうなのかどうかは別として、それが一見)みんなのためならば仕方ないのかな…」と怯んでしまったりと、
利己的な主張を、正当な権利と同等に扱ってしまうような、まだまだモヤっとした感覚の中にあるのが現状なのかもしれませんね。
けれど、利己的な自己主張はもちろん、仮に全体のためという体の主張であったとしても、それが“全体”として捉えているものが果たして何なのか、利己が集団化したものを全体かのように捉えて振る舞っているのだとしたら、それはもはや全体ではないし、一部ための利益を求めているに過ぎないし、、、。
…と、そんなことをぼんやり考えていたら、今日は自身の内にあった“小さな利己の芽”に気づかされる出来事があり、早速それを摘むような作業を行っていました。もう本当に、そういう時代なのだなぁと思います。
アークピュリティでご紹介しているワークはどれもそうですが、中でもプログレッシヴワークは進化系というだけあり、意識の変容や進化に大きく働きかけてくれるものです。
新ワークも早くご紹介したいと思いつつ、現在そのページの作成と、ホームページの一新も目指して作業中です^^また来年、良いものをさらに良い形でご紹介できるよう頑張ります。
今日はひんやりと澄んだ、本当に美しい夕焼けです。
ではでは、暖かく穏やかな年末年始をお過ごしくださいね。
皆さまもどうぞ良いお年を!